【意見】私にとって理想のSNSを、Misskeyでの経験を踏まえて再考してみる
自分のSNS歴を振り返りながら、MisskeyやMastodonなども含めて「理想のSNS」について再考しようと思います。
たまには気分を変えて「だ・である」で書いてみようと思います。
ちなみに、この記事には「親友」という人物が登場します。そういう人物です。
私のSNS経歴
故郷Google+の壊滅
私は、Google+というSNSが大好きだった。ずっとここにいたかったが、去る2019年4月2日にサービスを終了した。丁度この間で5周忌になる。
2018年にこのことをニュースで目にした時の、あの胸が締め付けられるような感覚は今でも忘れることができない。本当に悲しかった。あそこでつながった人たちとは、今もいろいろなところで仲良くしている。疎遠になってしまった人もいるが、私は一時たりともあの場所の楽しさを忘れたことはない。
Meweという「なぞのばしょ」
Google+が滅ぶにあたって、新しいSNSを探す流れは当然生まれた。その候補として有力だったものがMeweというものだ。マイナーすぎて、当時のことを知る人以外はおそらく誰も聞いたことがないだろうが、実は現在も存在している。
ここはGoogle+に似ていたが、なぜか誰も定着しなかった。「親友」が「俺だけは絶対見ている」と言ってくれていたが、その宣言は2年で潰えた。
私はこの件について、「親友」を責める気は全くない。先に全く見なくなったのは、疑いなく私の方だったからだ。
Mastodonという「異世界」
そんな中、私はもはやほとんど覚えていないが、Mastodonに誘ってもらった記憶があり、アカウントも現存する。
しかしこのとき、「Mastodon」のことについて、何も理解をしていなかった。そのためmstdn.y-zu.orgに登録したにも関わらず、何度もmastodon.jpにパスワードリセットの問い合わせを送ったりもした。何も理解することができないまま、周りのGoogle+仲間もほとんど定着することなくTwitterに流れていった。
Twitterでの「避難所生活」
ところで、私は、過去から現在に至るまで、一貫して「Twitterが心の底から大嫌いだ」と発信し続けている。
理由は単純だ。言論統制である。
2024年現在はそんなことはないだろうが、昔のツイッターは、仲間内で少し強い言葉が出たとしても、それだけで永久凍結の対象となるリスクが十分に存在した。適切な例えがすぐには浮かばないが、それは例えば以下のようなものだっただろうか。
(仲間内で、リプライ機能を使用して)お前マジで馬鹿だろww
このようなツイートで凍結する可能性は、十二分にあった。他にも、
(虫の写真を掲載して)死ねよ
これが永久凍結に値した(実話である)。まさに暗黒時代である。
また、これも実体験だが、私は以下のツイートで一時的に凍結を受けたことがある。
@Microsoft 死ね(エラーの載ったスクリーンショットを載せて)
この前後にて、内容を補足するためのツイートを行った。それを読まずとも、スクリーンショットの内容からして私が「Microsoftに所属する誰かに対して、殺意を持ち、または殺害を計画し、殺害予告や脅迫を行った」わけではないことは明らかである。それにもかかわらず、Twitter社はこの投稿を削除し、私のアカウントをロックした。
しかし、企業とはいえ特定のユーザーに対しメンションして「死ね」ということは、違法になるリスクがあるかもしれない。ところが、これは鍵垢のツイートであり、私がフォローされていない@Microsoftに届くことは絶対に有り得ない。
鍵垢の投稿が日記帳と異なることは認識しているが、「黒魔術」や「不幸になる祈祷」を行うことで逮捕されるのが不当であるように、私はこの削除は今でも不当だと考えている。私は、仲間内でしか見えないところで「Microsoftは明らかに致命的なバグを放置しており、これに対してすぐに対処することもせず、不誠意の塊である」ことを、「死ね」という強い言葉で非難したものである。これが脅迫に当たると考えるのであれば、資金力のない個人でもないのだから、正々堂々と訴訟を起こせばよろしい。本当に姑息なことをする。
このときに「親友」と話したこと
このときから、Twitterに対する不満はふつふつと滾っていた。このことで、「親友」に愚痴をこぼしたことがある。
その時、「親友」から帰ってきた答えは「Twitterは言論統制を用いて自衛する権利がある」というものだった。もっと具体的に言うと、「Twitter社は、自己の責任において、自己の費用でプラットフォームを運営しており、その利用者や投稿内容について選り好みをし、統制する権利がある」というものであった。
この考え方は、何も間違っていない。現に、Misskey運営は過去に性多様性に関わる単語を事実上検閲し、シャドウバンと同等の行為(強制ホーム投稿、グローバル投稿不可)を行ったことがある。限られたリソースの中、簡単に平和にする方法として、一概に誤ったものとは言えないだろう。
この回答は、間違いなく考えが未熟な私に道標を与えてくれるものであった。しかし当然のことながら、理屈にいくら納得ができたとしても、嫌悪感はその形を完全に保ったまま、私の中で渦巻いていた。
Minecraftの検閲
少し話がそれるが、MicrosoftはMinecraftのチャット内において、言論統制を行っている。これは実例だが、「nig」を含む単語は、すべて検閲の対象となる。英語に詳しくない人のために補足をしておくと、「nigger(ニガー)」という黒人差別用語がこの世に存在し、それは当然取り締まるべきものである。しかし、「nig」を機械的に規制すれば、国名である「Nigeria(ナイジェリア)」「Niger(ニジェール)」のみならず、極めて一般的な単語である「night(夜)」「knight(騎士)」も検閲の対象となる。
差別を行う攻撃者は、ありとあらゆる手段を駆使する。それは例えば「Ì」「1」のような代替文字・特殊文字を使用することや「null文字」を始めとした特殊な記号を間に挟む方法であるが、これにとどまらず、機械的な検閲を避けるためにあらゆる手を尽くす。差別がこのような人の悪意から生まれる以上、「事前に抑止すること」の困難さ、そして「禁断の武器」である検閲のバランスについて自覚することなく、このような検閲が続いていることは非常に残念である。
他の観点から
地方公共団体のみならず、政府機関もTwitterを使用している。つまり、Twitterは事実上の情報インフラである。
そんな事実上のインフラが、「お前のこの投稿は不適切に見えるわ」と投稿を消したり制限することは表現の自由を制限しているし、「お前は素行が悪いから出ていけ」と個人をつまみ出すことは、完全に人権侵害行為であると個人的には捉えている。たとえ明らかに違法な強迫行為を行い、スパムを撒き散らし、誹謗中傷を行った人間だからといって、政府機関が公的に発信したメッセージに直の情報源からあたり、新規投稿を追跡する権利はある。それをたかが一企業が遮断することは、絶対にあってはならない。というか、下手をすれば運営国による内政干渉である。最大限譲歩しても、「永久に投稿禁止」が最大限行っていい措置であろう。
他のサービス、例えばLINEなどに対しても全く同じことが言える。そして、この状況に危機感を全く持たない我々にも責任の一端がある。我々は弱い立場であり、プラットフォーマーからいつ何時不当な抑圧を受けるかわからない。そのことを深く自覚し、常にサブの連絡手段や発信先を持っておくことは非常に重要である。
分散型は、この点においては非常に優れている。運営主体がひどく暴走したとしても、移行は非常に容易であり、言論統制にも強い。
「シャドウバン」
これも周知のことだとは思うが、Twitterは運営が気に入らないアカウントに対し、「シャドウバン」を実施している。これは「検索に表示しない」という措置であり、ユーザーの利便性を著しく下げる。
他にも「リプライ順位下げ」や「通知無効」などもあり、その基準は全く持って不透明なものとなっている。これに嫌気が差してMisskeyに移住するものも、絵師を中心に多くいると聞く。
Misskeyの唐突な流行
2022年から2023年にかけて、Misskeyが突如として大流行した。もっと厳密に言えば、「バズ」ったのである。
私は流行を追っていないため正確な時期やきっかけは全く覚えていないが、Misskey.ioの流行を発端としてMisskeyというソフトウェア、Fediverseという考え方が大流行したものと捉えている。
Misskeyは分散型プロトコルであるActivityPubを採用し、それぞれのサーバーが連合でき、相互に通信を行うことができる、というものであった。
この技術に魅力を感じたが、すぐに手を出すことはしなかった。単純に、「misskey.io」という最大のインスタンスに直感的に影を感じたからである。
Misskey.ioは人数が最大のサーバー(旧称「インスタンス」)である。端的に理由を言えば、人数が多いから登録を忌避した。
単なる逆張りと言われればそれまでだ。それでも、ActivityPubがあるのにどうしてみんなMisskey.ioにばかり集まるのだろう、という強い疑念があった。実のところ、分散型に興味があるものなど極少数であり、与謝野晶子やレターパックばかりに目が行っているのではないか、と考えたのだ。
もしもこの予感があたっていれば、これは単なる「国産Twitter」であり、Twitterの二の舞いになる可能性は十二分にある。この事実は、登録を避けるのに十分であった。
現在の「仮の住まい」
現在はTwitter(旧X)と並行して、「みすてむず(misskey.systems)」に定住している。理由は極めて単純であり、「他の人と話が合って面白いから」である。
それでも、みすてむずを「終の棲家」として考えることはしていない。その理由はいくつかある。
まず、運営主体が身元不明の個人であることだ。その事自体を責めはしないが、法人運営に比べてどうしても安定性は下がる。Misskeyサーバーは、ioの流行と同時に乱立し、いくつも潰れてしまっている。というか、そもそもみすてむずも利用規約に
サーバーがふっとんでも泣かない。
とはっきりと記載がある。「いつ消えても不思議ではない」暗黙の了解をもって、皆みすてむずに限らず、Misskeyサーバーを利用しているのだ。
他に、運営体制の不透明性がある。このサーバーは、管理者の一覧を公開していない。また、ロールから管理者を一覧として見ることも不可能である。これにより、「誰が管理権限を持っているのか、網羅的に把握できない」という重大な問題が発生する。
このことは私に非常に強い嫌悪感を抱かせ、登録をためらわせるのに十分である。それでも私が登録し、1ヶ月間投稿を続けているのは「メンバーと話がとても合うから」「前から知ってる友達もいるから」である。この強い不快感は今でも内に持っているし、機会があれば運営に文句の一つも言いたいが、それでも他の部分には特にこれといった不満がないので利用している。
これは利用規約ではないが、misskey.systemsの管理者が「運営の哲学」として公開したノートにはこのような一文もある。
ねこかんは絶対ねこかん制を敷いているけど、これはねこかんが民主主義はフットワークに欠けるし責任感にも欠けるしグレーにゃ事柄に対して対処するのが難しすぎると考えているから。 こいつににゃら言われてもまあ仕方にゃいから従うかという雰囲気がよさそう。 その意味ではお金を払って運営している鯖主というのは都合が良い。嫌にゃら鯖を畳むが何か問題でも?
ここ書いてあることは、何も間違っていない。そして、例えば私がこの「ねこかん」氏に異常なほどの憎悪を抱かれ、嫌われて追放を受けたとしても、それはFediverse世界全体からの追放を意味しない。この「管理者は絶対王政だが、その範囲はあくまで自分のサーバーの管理範囲のみであり、世界全体には及ばない」という点において、Misskeyはどの中央集権型プラットフォームよりも優れている。
取り締まるべきものと、そうでないもの
上記において、「運営はメッセージを原則削除するべきではない」という私の意見を掲げた。当然、例外はあるのでここで補足をしておく。
法律の範囲を超えたもの
当然のことながら、法律で認められないものの投稿は認められるべきではない。ただし、ここでいう「法律」は国民が主体となり、民主的な方法に則り、正当な手続きを経てできた法律のみを指す。日本において、このような手続きを踏まない不当な法律は存在しないはずであるから、この点については割愛する。
逆に言えば、法律の範囲を超えた投稿を削除することは、特に大型プラットフォームであるTwitterなどがそれを行うことは法の範囲を超えて不当な「表現の自由」の抑圧をしていると評価せざるを得ない。
差別
これは意外と知られていないことだが、日本では差別に対して罰則を設けた法律が存在しない。つまり、理論上、少なくとも日本国内において、あらゆる差別発言は法律上セーフ(罰せられない)ということになってしまう。上記の「法から逸脱したものは規制すべきではない」という趣旨に逸れてしまうが、これに関してだけは、私は容認できない。
これも意外と知られていないが、残念なことに日本人が差別の対象になる事例は数多く存在する。深い言及は避けるが、神仏習合を奇習とみなす者は世界に多数存在することや、言語に特徴があることもその一因である。
我々は少なくとも差別の被害者という立場において、疑いなく当事者である(加害性がないと言っているわけではない)。その事を忘れず、民主的な手続きを経て早く適切な法が制定されることを切に望む。
「荒らし」
「荒らし」という存在は太古から存在する。「荒らし」が違法になるかどうかは、その内容による。例えば、違法な情報を書き込んだり、荒らしによってサーバーをダウンさせることは明確に犯罪である。しかし、適当な文字を大量に記入することや、サーバーの話題を散らかす行為、違法にならない暴言を吐く行為(例えば、対象を指定せずに、または明確にわからないようにして「死ね」というなど)などは法律の範疇に収まらない。
この点については、ユーザーが自衛するという選択肢があるが、現実的には困難である。「mpゔぁいjぴげ」のようなランダム文字列をいちいちミュートすることは現実的ではない。この点においては、「荒らしの基準」を設けて、権限者が一般ユーザーの代理として排除することは特に問題ないと私は考える。
分散型のシステムにおいて、これの代理役を行うのがそのサーバーの保有者の使命の一つとなっている側面は、間違いなく存在する。根拠は単純で、荒らしの多いサーバーに人間は定着しないからである。このため、管理者は定期的に「掃除」を実施し、「迷惑行為」を定義して排除することが普通である。
総括
言論統制に対する考え
私は口が悪かったり、一般常識に照らし合わせて「不適切」な発言が多いことは認める。これに対して、嫌気が差してブロックやミュートを行う権利は、すべての個別のユーザーに対して正当な権利として存在する(他方、これに対して私が個人の感情としてどう捉えるかも自由である)。それでも、プラットフォームという強大権力が、私の法に則った言論を抑圧することだけは絶対に容認しない。そういった不当な表現の抑圧に対し、強い嫌悪感を表明することは今も昔も変わらない。
この状況を許せば、特定の政治思想に人々を導くことだって可能である。これは大げさでもなんでもない事実としてそこにある。「言論の自由」というものを軽視する人々は、表現の抑圧の歴史を何も知らず、表現を抑圧される屈辱を味わったこともないのだろう。
現在のSNSに対する考え
Twitterは、今も昔も最悪の場所である。Twitterは凍結基準を一応は公開しているが、その実際は運営のさじ加減次第である。そもそも、誰が凍結を担当しているのかさっぱりわからない。特定の国や人種に「モデレーター」が固まっていることだって十分にありえる。その不透明性は、本当におぞましいものがある。この状況に比べれば、とあるMisskeyサーバーの管理者の暴走など、取るに足らない些事である。
Misskeyは、運営者の独裁するサーバー同士が連合する場所である。それでも、Twitterに比べれば信用できる運営者を主体的に選択でき、または自身を運営者として設定できる点において、誇張ではなく1兆倍マシである。
今更ながらまとめると、Misskeyに限らず分散型SNSは、従属する独裁者を自由に選ぶことができ、または自分自身が独裁者となることができる場所でありつつ、他の「惑星」とも交流が可能な特殊空間である。これにより、中央集権型のSNSと比べて
- 独裁者の意向が気に食わなければ、手軽に他の場所に移住でき、元いた場所とも原則通信可能である
- 自身が独裁者になり、人を受け入れないことで他の独裁者と対等の立場になることができる(「お一人様サーバー」は、まさにそれである)
という利点がある。
とはいえ、Twitterは論外としても、Misskeyにも私は安息を見出していない。Misskeyは、管理者同士が衝突することもあると聞く。その結果、善良なるユーザー同士の結合を、管理者のエゴで阻害することも十分に起こり得る。これは「分散型=自由」を脅かすことであり、ユーザー目線でも当然好ましくない。
とはいえ、サーバーブロックが存在しなければスパムや迷惑投稿を無差別に行ったり、明らかな違法行為を行っているユーザーを放置するサーバーに対して、制裁を加える方法が存在しなくなる。この点、独裁者たる管理者の善良なる心がどこまで働くかが分散型SNSの能力を引き出すことに直結すると言えるだろう。
結論:私にとって、理想のSNSはなにか
忌避するもの・しないもの
ここまで読んだ方ならわかるように、私は言論の自由を制約されることを最も嫌う。逆に言うと、それ以外のことにはあまり関心がない。
荒らしの他に、上記で「制約すべきこと」として取り上げなかったことの一つに「ネットいじめ、集団リンチ」がある。いじめというものは、どのような社会環境下でも不可避的に発生するものであり、それを技術で制約することは事実上不可能である。日本人特有の問題であるわけでもない。我々一人一人が加害者とならないように振る舞い、あるいは被害者になったときに心を病まず、適切に対処する他に方法がない。
当然のことながら、「ネットいじめ禁止」のSNSに登録し、定住する権利は誰にでも存在する。ただし、私はその公約を直ちに、そして有力に予防してくれるプラットフォームを何一つとして知らない。もしもそのような理想郷があるならば、興味があるのでぜひ知らせていただきたい。
それどころか侮辱罪の厳罰化は、むしろ他人に危害を与える人間にスラップ訴訟の機会を与えるという極めて大きな負の側面を持ち合わせている。犯罪を犯したわけでもない一個人・組織に対する過剰な謗りを予防するための法が、全く傷ついていない犯罪者・加害者らが弱者の表現を抑圧するために用いているというのはあまりに悲劇である。
Google+の仕様
突然だが、Google+はこのような仕様で動いていた。
- ユーザーは趣味別の「コミュニティ」に属し、共通の話題を通じて会話する
- タイムラインを構築するために「サークル」を使用して、ユーザーを選別することができる
- 「サークル」に対して投稿を行うこともでき、これによりTwitterやMisskeyとは異なる「主体的な鍵垢」を作ることができる
- デフォルトのタイムラインには、概ね時系列順で、コミュニティの投稿とフォローしているユーザーの投稿が雑多に流れてくる(投稿の量はサークル、コミュニティに対し調整可能)
- デフォルトで、「自分がフォローしている人がフォローしている人(簡潔に言えば、友達の友達)」以外からは通知が来ないために、スパムを回避する能力が比較的高かった
- コメントはあくまでコメントであり、TwitterやMisskeyのようにスレッド形式で入れ子にならなかった
特に、「サークル・コミュニティとタイムラインの関係性」は大きい。これにより、ローカルタイムラインやグローバルタイムラインが急激に荒れたとしても、ユーザーがいきなり不快なコンテンツを目にして気分が落ち込む可能性を下げることができる。
つまり、ユーザーは主体的に自分が関わる人を選び、コミュニティに所属することができるのである。
なお、類似の運用はMisskeyやMastodonでローカルタイムラインを使用することで可能である。
Misskey.ioでは、噂によれば過去に特定のワードを含む投稿や、特定テーマのサーバー(当然ながら、別にこのサーバーは悪行や違法行為を働いたわけではない)をホーム限定、つまりローカルタイムラインやグローバルタイムラインに流れなくした前科がある、と聞く。これはどのような言い訳を弄したとて、疑いなく言論統制そのものである。それが直ちに悪いことかどうかは別の問題だが、沈静化・タイムラインの平和を保つために言論統制・サーバーブロックという血染めの武器に手を出した、ということだけは逃れようのない事実である。
このように、「管理者が言論統制を行うことができる」ことが、Misskeyの孕んでいる最大の問題点であると同時に、先述した「荒らし」への対応の秘伝の宝刀でもある。
さて、話を戻そう。このGoogle+が持っていた特徴を、例えば私が再現すれば中央集権的になってしまう。ここまで様々な文句をたれてきたが、実際に私がサーバーを運営する立場になれば、手間を減らすために法の範囲を超えてなにか不当な行為を取り締まることだってあり得る。そのため、これを規格化し、Fediverseに持ち込むことができればどうだろうか。
私はMisskeyの思想は別にしても、Misskeyアプリの設計思想、使い勝手は大いに気に入っている。これをforkして、上記機能を実装することできたらどうなるだろうか、と常日頃夢想している。
「理想」は、実現しない
Google+は、今の私にとっても理想郷そのものである。しかし、Google+は明らかに人気が低迷しているSNSであったことに反論の余地はない。
それでもGoogle+にユーザーがいた理由としては、大きく分けて3つある。AKB48公式アカウントと、Minecraftβ版コミュニティの存在、そしてプリインストールであったことである。
私はアイドルに疎いため、後者のみを説明する。簡単に言うと、まだMinecraft(スマホ版)がPocket Editionだった頃、Minecraft PEのベータ版を遊ぶためにはGoogle+コミュニティへの参加が必須であった。
何が言いたいのかといえば、参加の必要性および話題性があった、ということである。Google+に行けば、Minecraftで素晴らしい作品を発表している人などがたくさん存在した。AKB48目当ての人もいたことだろう。
Misskeyが流行ったのも、Twitter(旧X)の改悪も当然一因であっただろうが、やはり話題性(バズ)が最大の要因だろう。絵文字リアクションに与謝野晶子、「レターパックで現金送れ」などのネットミームを皮切りに一躍有名になり、大手メディアも取り上げ、Misskeyコミュニティ全体が活気づいたと聞いている。
他に、GoogleはAndroidの開発に多大に貢献をしていることから、AndroidOSには標準でGoogle+が入っていた。このことは、「よくわからんけど名前は知ってるあのアプリ」という形でGoogle+の知名度向上に貢献していたことは間違いない。
翻って、私達はGoogleのような巨大リソースを持たない。いくら「理想の自由なSNS」を掲げたところで、悲しいことに思想・利便性だけで人は集まらない。このことは痛いほどよくわかっているつもりである。Twitterはイーロン・マスク体制になる遥か前から、二次元イラストを不利な方向に働かせ、簡単に凍結を行っていた。このときに、とっくにMastodonは存在していたが、一般人には全く流行っていなかった。一利用者である私にできることは、自分が何を不快に思い、何を実現したいのかを内省し、動向を注視しながら自分が望む方向に歩いていくことしかない。
ここで、技術面の話をしよう。Misskeyサーバーは、話題に特化する必要がある時は「チャンネル」機能を用いる。このチャンネルは連合することが不可能であるため、閉鎖空間となる。そのため、上記アプリが魔法の力で今すぐ実現したとしても、Misskeyの盛り上がりにあやかることは部分的に不可能である。つまり、「Google+版Misskey」を作ったとて、流行させるためには先述したように根気と話題が肝要であり、技術力も当然必要である。
夢は夢のままか、あるいはこの思想に共感してくれる人が現れるか。SNSが儲からないのはTwitterやMisskey.ioの経営状況を見れば明らかであるし、理想で人はSNSに集まらない。実現は絶望的だが、この記事が何らかの形で誰かの考えに変化をもたらしてくれたら幸いである。